第2代綏靖(すいぜい)天皇の御陵とされ、畝傍山の北側で現・神武陵から北へ歩5〜6分の位置にあります。綏靖天皇は在位はB.C581年1.8〜B.C549年5.10です。
この陵は元禄10年(1697)〜文久3年(1863)の間は神武陵に治定されていたそうです。
よく整備されている神武陵とは異なり、敷地も適当に荒れています。参拝者も少ないようです。初代と第2代とでは、待遇がずいぶん違うという感じ。陵名にある「桃花鳥」とは朱鷺(トキ)のこと、その古名が「ツキ」と言われました。
陵印 現代 |
陵印 昭和16年 |
制札 |
参道 |
御陵 |
昭和初期の写真 |
綏靖天皇の宮、高丘宮跡は葛城古道の一言主神社の近くにあります。杉木立の一角に石碑が立てられているだけです。