竜王山の山頂より箸墓は手前に見えます。 |
昔の陵印奈良のIさんのコレクションから画像をいただきました。 直径は43mm |
箸墓遠景 |
箸墓 |
「箸墓」の由来は、日本書紀の中にある話で、『孝霊天皇の皇女・倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)が大物主神の妻となった。夫である大物主神は昼間姿が見えず、夜にだけ訪れる。姫は夫に姿を見せてほしいと頼んだ。すると翌日、櫛笥(くしの箱)に入った小さな蛇となって現れた。それを見て姫が驚いた為、大物主命は恥をかかされたと言って三輪山に隠れてしまった。姫は後悔して陰部を箸で突いて自殺した。だから人々は姫を葬ったこの墓を箸墓と呼ぶようになった。』ということです。姫が驚いて尻餅をついたら運悪く箸が突き刺さって出血多量で亡くなったという事故死説もあります。
また、箸は土師(はじ)の転化したもので古代の豪族・土師氏と関係するともいわれています。
奈良には他にも日本書紀の天磐船に関連して大和郡山を邪馬台国の想定地とする説もあります。 そこでは毎年卑弥呼が選ばれています。
箸墓古墳の東約三百メートルの丘陵上には築造年代が三世紀前半にさかのぼる可能性があると発表されたホケノ山古墳があります。
また、東南約五百メートルの田んぼの中には珍しい帆立貝式の茅原大墓古墳があります。