全国第9位、近畿以外では第2位の規模を持つ前方後円墳。詳しくは以下の総社市教育委員会が立てた説明板を御参照。
墳形 | 全長 | 後円部径 | 後円部高 | 前方部幅 | 前方部高 | くびれ部幅 | くびれ部高 | 年代 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
前方後円墳 | 285 | 174 | 24 | 174 | 5世紀中頃 |
全国第4位の造山古墳とこの作山古墳、どちらも「つくりやまこふん」ですが違う古墳です。
独立丘陵を加工して造られた作山古墳は、造山古墳(岡山市所在、全国第4位・岡山県下最大の前方後円墳)に次いで、5世紀中頃に築かれた全国第9位、岡山県下第2位の規模を誇る前方後円形のお墓です。 斜面と平坦面からなる三段に築かれた墳丘は、現在では草と木で覆われていますが、築造当時は、平坦面に少なくとも5千本以上の埴輪が立て並べられ、斜面には石が敷き詰められていました。 自然の景観の中にそびえ立つ巨大なモニュメントは、作山古墳の南方に存在したと考えられている古代山陽道に先行する道を行き交う人々に、吉備の大首長の権力を誇示したものと思われます。 しかしながら、作山古墳は、正円形の後円部をもち前方部の形態も整った畿内の大王墓や造山古墳に比べ、楕円形で前方部の前端が台形に突出するなど不整な形態をもっています。これは、長さと幅が不十分な自然丘陵をできるだけ手をかけず、長大にみせようとしたことによるものと思われます。 畿内の大王墓にみられる二重・三重の堀が認められないこと、また、本来なら取り除くべき前方部前面の丘陵がそのまま残されていることなどからも、作山古墳に葬られた吉備の首長は、畿内の大王ほど、古墳築造にかける余力がなかったのではないでしょうか。 なお、作山古墳には、盗掘された大きな穴は存在しないことから、古墳の主は今も後円部の中央地下深くに眠っているものと思われます。
平成22(2010)年3月 総社市教育委員会
↑ スタンプ
航空写真
→
←全景(前方部から)
→全景(左が前方部、右が後円部)
墳丘へ登る
墳丘付近。
←
作山古墳の土鈴
丘陵を三段に整形加工した斜面と平らな面からなる墳丘は、現在草と木で覆われ一見山にしか見えませんが、築造当時は平らな面に5千本以上もの埴輪(はにわ)が立て並べられ、斜面には石が敷き詰められていました。
古墳の樹木に覆われた現在の姿、葺石に覆われ埴輪が並べられた古代の姿、その対比を土鈴にしました。また、底面にはレンゲ畑に囲まれた備中国分寺の五重塔を描きました。吉備路の春景色が思い起こされます。
他にも吉備の古墳土鈴がありますこちらをご覧ください。
2014年3月作品