玄賓庵から約300メートル。大神神社の摂社の一つ。
崇神天皇の頃、天照大神をいつきまつった倭の笠縫邑(やまとのかさぬいむら)の伝承があり、
元伊勢とも称される。
倭の笠縫邑と伊勢の関わりは伊勢の内宮(皇大御神)の御神体、八咫鏡(やたのかがみ)の伝説につながる。この御鏡は代々宮中で祭られてきたが、
崇神(すじん)天皇の時に皇居の外、大和の笠縫邑(かさぬいのむら)に神籬(ひもろぎ:榊のような常緑樹で囲われた神聖なお祭りの場)を立ててお祭りすることになった。
そこで、天皇に代わり豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)が皇大御神をお祭りしていた。
その後、垂仁(すいにん)天皇の時、皇女倭姫命(やまとひめのみこと)が新たに皇大御神を祭るにふさわしい地を求めて
八咫鏡を持って各地を巡行することになりました。倭姫命は大和の国を始め伊賀、近江、美濃の諸国を巡ったのち、伊勢の国の度会(わたらい)の地、五十鈴川のほとりへ「祠(やしろ)」を定めたのが伊勢の内宮(皇大御神)ということです。
三つ鳥居 | 御朱印 倭笠縫邑 |
境内全景。 | 鳥居から西へ この道を進むと卑弥呼の墓とされる箸墓へ 遠く二上山も望まれ夕方は絶景。 |
近鉄新アミマ倶楽部のデジタルスタンプ
きれいな夕焼けですね