白山比咩神社を過ぎて古市に向かいます。廃寺、城址、昔々の風景を想像しながら歩いてみましょう。
藤原観音堂
室町時代の木造十一面観音立像が安置されています。
藤原観音堂近くから西の方角を見たところです。
中央やや右の緑が古市廃寺です。
古市廃寺は、昭和35年の調査で南門、中門、塔、金堂が一列に並ぶ四天王寺式伽藍配置や出土遺物から、飛鳥時代に創建され、平安時代に火災のために廃絶したと推定されています。 遺物として、金堂跡からは、仏像の付属物など、塔跡からは塑像破片などが出土しています。
出土瓦に「野」とみられる文字瓦があり、この地方は和珥氏の同族である春日部小野氏の勢力下にあったことから、この寺は小野氏の氏寺であったと推定されています。
古市廃寺跡であろう藪を目指してきましたが、それを示すような案内板は見つかりませんでした。たぶんこの辺りというところに古市公園がありました。
古市城跡は古市廃寺の藪の向こう側にある東市小学校付近です。
画像は東市小学校の校庭の片隅にある「古市城跡」の石碑です。鍵のかかったフェンスに囲まれているので学校に頼んで見せていただく必要があります。
小学校付近の小字名には古城、高山、城山など城跡っぽいものがあります。 古市城は15世紀後半から16世紀初頭に至る古市氏の居城です。
山城ではありませんが、少し高台になっていますので見晴らしは良いです。
領主の古市胤榮(ふるいち たねひで/いんえい)と古市澄胤(ふるいち ちょういん)は大和を代表する棟梁的地位を保ち、風流武将としても有名で、一時は山城の国相楽などにも勢力を伸張しました。
古市澄胤の時代に最盛期を迎えた古市城ですが明応6年(1497)と明応 9年(1500)の2回、筒井氏によって落城させられました。 澄胤の後を継いだ弟の公胤は居城を古市山城(鉢伏城)に 移したので古市城は廃城となりました。
古市氏はその後、松永氏に従いましたが松永久秀が滅亡すると古市氏も滅亡しました。