鈴散歩 栞第5号

 

◎卓話 甲州土鈴 佐藤君三氏宅訪問記

三輪貞喜氏

 

 私と佐藤君三氏の土鈴との出会いは,東京駅前の国際観光会館内の山梨県東京観光事務所陳列所に展示された,風林火山信玄公兜鈴である。これらは,何れも従来の土鈴の概念からはみだした造形美によって,目をひきつけられたからである。  事務所係員に販売を依頼するも展示のみで販売はいたしませんと冷たく拒否され切角の機会にもかかわらず入手できず、やむなく 作者 住所を調べてもらい. 漸くにして

   山梨県甲府市住吉町1丁目11-4  佐藤君三氏

と判明し、訪問の機会を待った。

 昭和52年刊の『日本の土鈴』は、森瀬雅介氏と斎藤岳南氏の共著であるため.甲府の鈴は.斎藤岳南氏のものだけに限られており.佐藤君三氏は陰に隠れてしまい、 わずかに甲府近辺の土産物屋の店頭にみられるだけであった. 斉藤岳南氏は.早くから派手に各地の百貨店の催事に出店し一流土鈴作家の地位を確保しておられるのに比して.佐藤君三氏は、全く対照的で.地味で控えめに、ひっそりと作業を続けながら、 世間からは忘れられた存在となっていた。だが昭和53年7月山本鉱太郎著 『土鈴-収集の旅一』カラーブックス 保育社刊 で初めて佐藤君三氏の名前と作品が公にされた。

 丁度 山梨県立美術館が、ミレーの名画を展示、陳列されるというニユースと、佐藤君三氏の鈴を入手したいという願いがますますおおきくなつた。  昭和54年9月 横浜へ出張の際、土鈴探訪のため、甲府経由で帰る計画を樹てた。  新宿西口から中央自動車道高速バスで甲府へ。石和温泉で一泊。

 甲府は、南に、富士山がくっきりと秀峰を浮かべ、西から北へかけて甲斐駒やハケ岳の峰が遠く近く眺められる盆地の中の静かな町、戦国時代に 武田の領地になってから、信虎、信玄、勝頼三代の城下町として大いに発展した。葡萄と水晶細工でしられており、市内各地周辺にも温泉が湧出している。 朝一番は、全国の一宮巡りの集印を兼ね未入手の鈴集めの為、甲斐の国一宮として延喜式内の名神大社で庶民が敬愛した甲府浅間神社へむかう。葡萄の勝沼から、温泉の石和にかけての果樹地帯の丁度真ん中あたりに位置し、 全体にこじんまりとした田園の鎮守といった感じの社、親しみはもてるが、日本一の富士山の神というには何となく物足りない感じ。  

 梅折枝の神事による夫婦梅鈴 〔斉藤岳南作〕一種類のみであった。これは。″陰陽二花相寄りて一果を結実する神木あり、この実を食すれば子宝を得る″という。伝承に基づいて作られたもの。他には馬の絵馬のみで、集印をしてもらい辞去する。

 次いで。武田神社に向かうも土鈴はなく、絵馬のみ。 武田神社はつつじケ崎の館として武田一族の本拠地であったが、今は全くその面影は認められない。

 パスで住吉町の佐藤君三氏宅にむかう。比較的判りやすく、しもたや風の引き戸を開けおとづれた。

 アポイントもなく突然の訪問にも拘らず心より迎えて下された。作業中に手を休めて次々と手持ち鈴を取り出して説明をして頂き恐縮した。

 佐藤さんは土鈴のほか土笛や土人形も数多く作られておりますが、きめ細かく丁寧に仕上げされているものがあるかと思えば。粗雑で何処にでもみられる観光土産とかわらぬものもあり、同じ作者のものとはおもえない。

 鈴は流し込みと手押しの2種類あり、表面にニス塗りと顔料のままのものとあり現在、佐藤氏自身が自分の鈴を作りだす為の暗中摸索のせいか?

 佐藤さん宅を退出した後、美術館に近い 斉藤岳南氏宅へ回った。御本人は出展の為に御不在で奥さんと御子息と面談するも、出来た鈴は全て出展用に発送されて。手持ちは無いとのこと。座敷一杯に荷物の紙包みを積上げてあり玄関での立ち話となった。

 県立美術館には入場出来ず時間切れ、やむなく身延線経由で帰路につく。

 

 

富士熔岩焼き

 富士山の風化熔岩砂を混合した独自のうわ薬で焼成した軟陶。

 

天津司舞

 毎年4月10日前後の日曜日に下鍛屋治屋 諏訪神社の祭礼にでる人形舞。大水害への恐れと美しい村里への感謝を人形芝居で表わす。

 

カナカンブツ

 金兜 端午の節句に家伝のヨロイ、カブトを床の間に飾るが庶民は本物の代わりに紙.木等の材料で信玄公を主体に.天狗武者等をつくった.

 

親子虫切り

  甲府市宮本町昇仙峡 金桜神社で授与 大きい鈴の中に小さい'鈴が入っていて大小の鈴音が聞こえます。鈴の表面にある図柄は魔よけ。まじないで。だるまは七転八起、商売繁盛 家内安全といわれている。

 

松姫 ・・・高遠城主仁科五郎盛信の妹

 永禄4年甲斐古府中つつじが崎屋敷で信玄の4女として生まれ、7才の時織田信長の長男奇妙丸(信忠)と婚約をむすび元亀3年破談。武田家滅亡後22才の若さで出家。

 信忠のイメージを心にえがき背の君として他の縁談は断り続けた。

 

由布姫 ・・・ (湖衣姫) ・・・ 南野陽子

 信州上原城主 諏訪頼重の娘として生まれ武田信玄の側室(諏訪御料人)としてむかえられ勝頼を生む。

 

葡萄唐草魔除

 法隆寺五重の塔より発見された魔よけ海獣葡萄鏡の図柄。

 

覚円坊達磨

 覚円(沢庵の弟子)が昇仙峡の岩頭で座禅苦行した姿を形どり出世不老長寿.魔よけ

 

虫切り

 虫封じのまじない鈴で金色にぬった素焼き5個つなぎとなっている。子供の腰に結び付けて遊んでいるうち、糸がきれて鈴がとび散ったら。カンの虫が切れたという俗信。

 富山の蛇の目鈴、英彦山のガラガラと共に3鈴と称せられる。

 

昇仙峡守り犬

 富、身、火を守る狼系の山犬

 あらゆる災難からお守りし家内の幸福を守る。なかでも盗難予防。

 

ミレー種をまく人  53年11月 山梨県立美術館

 1850年ミレー油彩 写実主義絵画の先駆として重要な意味を持つといわれている作品。 1億7千万円 外形は種を形どつたものに農夫が種を蒔く姿を浮き彫りにした茶色塗り、径は10cm程の丸型である。

 

笛吹権三郎 土笛

 笛吹の上手な権三郎が或る年洪水に巻き込まれたとき母親の姿がみえず、川辺を幾日かさまよっていたが、 とうとう水死してしまい亡霊となって村人逢が恐しがっていたとき長慶上人が供養してからは、村もあかるくなった。 この川を何時か笛吹川と呼ぶようになった。

 

粘土お高やん

  釜無川の護岸工事に歌われたのが粘土節で、美声で美人の娘の藤巻たかが人足の間で歌うと能率があがり難工事も思いのほかはかどった。 その後山梨県の川普請にはお高やんを折り込んだ歌が民謡となっている。

 

鵜飼勘作

 平清盛の北の方二位の局の弟であった平大納言時忠が流罪中、甲斐の国に逃れ。石和の里に住つき鵜飼を業とし鵜飼勘作と名をかえていた。 たまたま殺生禁断の地と定めらた石和川で漁をしたため。捕らえられ洲巻きにされ川底に沈められた。 以来亡霊となっていたところ、日蓮上人の法力によって成仏得脱した。 謡曲 鵜飼でも有名である。

 

甲州土鈴 (佐藤君三氏作品) 一覧

富士熔岩焼 天津司舞 カナカンブツ 信玄達磨 信玄天狗 信玄公兜 由布姫 新由布姫 松姫人形

武田姫達磨 鵜飼勘作 葡萄唐草魔除け 笛吹権三郎 武田女武者 武田神馬 覚円坊達磨 日蓮上人身替り犬

小坊主(一休さん) 木喰上人 だるま 御旗盾無 軍配 虫切り 親子虫切り 昇仙峡守り犬 粘土お高やん 兜鐘 ゴルフ ミレー種まく人 縁故節子守り唄 ふじくん 太鼓身延山 風林火山 甲府方言名所 虎ノ子

胡瓜 大根 トマト カリフラワー 人參 蕪 玉葱 トーモロコシ

 

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