変遷 神社が次々と考案

 讃岐の<こんぴらさん>の名で親しまれている金刀比羅宮(ことひらぐう)は、昔の庶民にとって伊勢神宮とともに、一生に一度は詣るところとされてきた。 この金刀比羅宮からかつて授与された土鈴は、既に述べた鹿児島神宮授与の正八幡土鈴などと同系統の、伝統的な埴鈴型のものであり、その授与鈴の爽やかな音色は、金比羅信仰繁栄の象徴として、 人々の間に大いにもてはやされたものであった。

 ところが、昭和41年5月12日に参拝した折には、この昔ながらの伝統的な授与鈴は無く、代わって、象頭山に因んで象の姿をかたどった土鈴が授与されていた。 こうした新しい土鈴が、神社の縁起などとの関係からいろいろに考案されていくところに、現代的新解釈がうかがわれて興味深いが、同時に神社の側もまた、目先を変えた新しい授与鈴を作ることによって参拝者の心をひきつけ、 その信仰を一層広げるための「えにし」にしようとしたのである。

 その点、大変面白いと思ったのは、京都洛北の貴船神社授与の土鈴についてである。賀茂川の上流、貴船川畔に鎮座するこの社は、昔から祈雨・祈晴の水神として広く尊敬され、 祈雨には黒毛の馬を献じ、祈晴には白毛の馬を献ずるのが例であったことが「延喜式」(巻3)に見えている。従って、この故事から、黒馬(但し、色は真っ黒ではなく、鼠色)と白馬との二疋一組の土鈴が、 昭和40年代のはじめまでは授与されていたが、同じ40年代の後半に訪れた際には祈雨・祈晴にゆかりの馬の土鈴は姿を消して、宝船の土鈴がこれにとって代わっていた。

 神宮の説明では、神社名が(貴船)だから、宝船にしたとのこと、考えてみれば、この明快な説明の方が現代の一般参拝者には、遥かに理解がし易いのかも知れない。 しかも、貴船の名から渡し船を連想するのは、すでに「梁塵秘抄」の<神社歌>に「思ふことなる川上に跡垂れて、貴船は人を渡すなりけり」と歌われているように、貴船から宝船への連想は、ごく自然の心の動きでもあった。 ただ、貴船神社の伝統的性格としての祈雨・祈晴の民俗が忘れられていくのは、淋しいことだが、こうしたところにも土鈴の跡がうかがわれて面白い。

 さて、噺をまた、讃岐の<こんぴらさん>に戻して、今一度述べてみたいことがある。 金比羅宮に詣でた帰り、土産物店や旅館の立ち並ぶ門前町の賑わいの中に身を任せて、のんびり歩いているうちに、一軒の骨董品店店頭で、戦前の蓮華瓦の土鈴を見付けた。 青く塗った地色のところどころ剥げ落ちたこの土鈴を手に取って、裏返した途端に眼を射た「法隆寺」の三文字に私の心は躍った。

 ところが、店の女主人の話では、その土鈴は売り物ではなく亡き夫の思い出の品とのことで、ついにその入手を諦めようとした時、「お客さんは土鈴がよほどお好きなんですね。 この土鈴も本当に好きな人に貰っていただいたほうが幸福でしょう。」と言って、快く譲って下さった。その女主人のおおらかな人柄は感謝の念と共に今も忘れられない。

 なお、当時、筆者が持っていた「法隆寺」という陰刻文字が彫られた戦後の蓮華瓦土鈴はこれよりふたまわり程小さなものだが、これと全く同じ鈴の裏に「道成寺」と陰刻文字で彫ったものもあり、 いわば、同様のカレンダーにそれぞれの会社名を印刷するのと同じ発想でユニークな個性の失われてしまった土鈴は誠に味気ない。


初出 昭和53年(1978年)4月3日(月曜日)

本日の一鈴 貴船神社授与  雨乞い馬土鈴

雨乞い馬

 

 

 

本日の一鈴、もう一つ 蓮華瓦土鈴 (奈良県・法隆寺)

蓮華瓦土鈴 (奈良県・法隆寺)

 

 

 


脚注 象頭山(ぞうずさん)

 象頭山(ぞうずさん)は、香川県の西部に位置する山である。隣の琴平山(標高524m)と共に「象頭山」として瀬戸内海国立公園、名勝、天然記念物に指定され、香川のみどり百選にも選ばれている。 『こんぴら船々』(民謡)の歌詞にも登場する。

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