(22) 鈴占
節分の夜、豆打ちの豆を月の数だけ並べて火の上に置き、その焼け方を見て毎月の天気を占う習俗は、日本各地に広く行われ、多くはこれを月焼きとか十二焼きと呼んでいる。
この豆占(まめうら)の呪法以外に、例えば、柳田国男の「遠野物語」によると、東北の上閉伊郡(かみへいぐん:岩手県)ではヨナカミ(世中見)といって、十二の胡桃を割って一時に爐(いろり)の火にくべ、 一列にして月々の天候を占う方法が小正月の晩に行われているし、また、別の報告によると、同じ下閉伊郡ではタクラベといって、餅を十二、熱い爐の灰の上に並べて、その焼け方によって月々の天候を占っている。 その他、信州などでは、トンドの火で燃やした門松の焼け残りとか、置炭を用いた墨占(すみうら)も行われている。
このように、年の始めにその年の吉凶を占って、作物の出来、不出来を知ろうとする年占の方法はさまざまだが、他に最も多く見られるのは、粥占(かゆうら)である。
粥占とは、竹の管を粥の中に入れて共に煮、あとでその菅を割って見て、粥の詰まり具合から作物の豊凶を占う民俗で、千葉県の安房神社などでは、十二本結んだ管を粥に入れて年占をするという。 また、粥かき棒とか粥立て棒といって、正月十五日の粥をかきまわす棒でその粥をかきまわしたあと、米粒の付き方でその年を占うという方法もあり、正月行事に見られるこれらの年占は、わが国の全国的な民俗であった。
さて、節分の当日、鈴の音色によってその年の吉凶を占う、いわゆる鈴占(すずうら)の神事で人々に知られているのが、大阪府堺市の蜂田神社である。
和泉国神名帳に見える式内社としての古い歴史を持つこの神社の古伝によると、鈴占の神事は、今から千年以前の昔、蜂田の連(むらじ)という人が土焼きの鈴十二個を作り、 毎年春のはじめに神前に献上して、その音色の良し悪しで年占を行ったのが、ことの起こりであるといわれ、毎年節分の当日、古式による鈴占の神事が執行されるところから、今日では鈴の宮と呼ばれて、広く親しまれている。
なお、この鈴占に用いられる十二種の土鈴は、神域の清らかな土をもって作られ、神事の終わった後は境内の鈴塚に納められていたが、昭和四年以降、節分当日の参拝者に抽選で頒つこととなり、 さらに、この鈴占のほか、開運厄除の御守鈴を作って広く一般に授与されるようになった。
鈴の宮の十二鈴は、その造形美において、まことに精巧な出来栄えであり、また、その音色の涼やかさは、まさに、天下の逸品である。 しかも、それぞれ形の異なった十二鈴に、一、 和光 二、 久海 三、 観月 四、 遊亀 五、 天鼓 六、 瓊矛 七、 曲玉 八、 蜂田壷 九、 庭燎 十、 管玉 十一、香久賓 十二、神楽 と名付けられた名称も優雅で心憎い。年占として行われた鈴占の神事は蜂田神社の祭りであったわけだが、やがて、これとは別に、参拝者たちの開運厄除けを願う思想から、鈴守りとしての十二鈴が広められるに至った。
こうして、神社が十二福と称して、この鈴を一振りすれば「無窮福」を得、二振りすれば「衆人敬愛福」を得、三振りすれば「麗容円満福」を得、四振りすれば「知恵福」を得、 五振りすれば「長寿福」を得、六振りすれば「子孫繁栄福」を得、七振りすれば「常勝軍福」を得、八振りすれば「五穀豊穣福」を得、九振りすれば「畜宝如意福」を得、十振りすれば「成功出世福」を得、 十一振りすれば「富貴分限福」を得、十二振りすれば「神意通達福」得ると説くところに、鈴の徳がうかがわれて、興味深い。
初出 昭和53年(1978年)3月31日(金曜日)
泉州鈴之宮蜂田神社略記
当神社は和泉国神名帳大鳥郡二十四座の内の式内社にして、創立既に上代に属す。社伝に永禄年代以前は現在地西一丁余の山麓に鎮座ありしを、三好松永等の輩家原城を攻むるに方り不幸回禄に帰し現社地に遷るという。 今なお古宮の跡を存せり。延喜式に既に鑿靱の大幣に預かり給い、当国神命帳に正四位上を受け給える明神に在し、代々御祭神天児屋根命の後裔蜂田連が奉斎し来れる神社にして、 大鳥郡内の古社として往昔より斎かれ給えること史に徴して明らかなり。当神社を鈴の宮と呼ぶことの起こりは、毎年節分に当たり鈴占い神事として古式により祭典執行のことあればなり。 この神事は今より一千百余年の昔、蜂田連なる人土焼の鈴十二個を作り、毎年の春の初めに神前へ献りその音の善し悪しによりてその年の吉凶を占い給いし古伝によれるものなり。 近年は神域の清き土を以て十二種の占鈴の外開運厄除の御守鈴を作り神前に献供して祈願をこめ一般参拝者の乞いにより授与のこととせり。当社においては古来神事に使用したる土鈴、撤下後鈴塚に埋蔵し来たりしを、 昭和四年以来このことを止め節分当日参拝者へ抽選を以て頒つこととせり。現今にては当社授与の土鈴のうち破損したるを返納される向き多くなりたるにより、この分毎年12月8日修祓を行ないて埋蔵するを例とせり。
全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年
当社の起源は古く、当地を原籍とする蜂田連の祖天児屋根命を主祭神として祭る。
創建は明らかではないが延喜式神名帳にも記されている古社である。永禄年間以前の当社は、現在地より西1丁余りの山麓に鎮座していたが、永禄11年の三好衆対松永勢の家原城攻防が原因で現在地に遷宮したと伝えている。 近世では神宮寺として西林寺を併有していたが明治の神仏分離令により西林寺は廃寺とした。
なお明治政府の神社合祀策によって、明治43年(1910)付近の村社6社と無格社2社(八田荘7社・久世1社)を合祀した。 通称当社を鈴の宮と呼ぶのは当社の起源と思われる蜂田連が土焼きの鈴12個を作り毎年春の初めに神前に供え、鈴音の善し悪しでその年の吉凶を占ったという故事によるものである。
近年は境内の土を使って12種の占い鈴を作り、古式通りの鈴占いを行うほか、開運厄除けの御守鈴を作り参拝者の求めにより授与している。
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