獅子頭 魔除けの玩具

 おほとかに歳のあしたを舞ひ遊ぶ初獅子さりてのちものとけし

 かつて、春のことぶれに訪れて来た万歳や春駒にまじって、獅子舞の笛と太鼓の賑やかな囃子が、今もなお心に響いて、快い正月気分を掻き立ててくれる。 悪魔払いの祈祷として獅子頭に噛んでもらえば、無病息災であるという習俗に対しては、恐ろしさが先だって、ひたすら逃げ回った幼い日の遠い想い出のみが鮮烈ではあるものの、思えば懐かしい新春風景の一コマであった。

 獅子舞は大陸から伝わった伎楽・舞楽・散楽などから生じたものとされ、後世、太神楽などで悪魔払いの祈祷として行われるようになり、広く祭礼や儀式の場などで上演され、 正月を始めとする各種の年中行事にも取り入れられていった。

 浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」の大序、兜改めの段に、獅子頭を前立物として正面に付けた兜が現れるが、これはもちろん、魔除けの為のものであった。 その点、現在、九州唐津市で行われる<おくんち>の曳山の中に、文政二年作の赤獅子と、それ以後の作である青獅子とが入っているのも、その目的は同じく魔除けであったことが、おおよそは想像されるのである。 従って、今日の郷土玩具を調べてみると、酒田の魔除けの獅子頭、栃木県大平山の火防せ獅子(この土鈴化については既述した)。 鎌倉宮の魔除けの板獅子、金沢の加賀獅子頭、高岡の獅子頭、伊勢の獅子頭、姫路張り子の獅子頭、出雲の魔除けの板獅子、高松の獅子頭、熊本人吉の守護獅子など、 木製・和紙製・練り物製による獅子頭は枚挙にいとまのないほどその数は多い。

 さて、獅子頭の土鈴を鈴守りとして早く授与したのが、福岡市の香椎宮(かしいぐう)である。社宝の獅子頭を土鈴に仕立てた、雌雄一組の作品であり、晩年は文化財保持者として知られた博多の人形師、 故小島与一氏の傑作である。頭部にお釈迦様に取り押さえられた際に埋められた宝晶の角を持つ獅子頭は、雌雄とも全く同形であり、雌は朱色、雄は黄土色と緑の二色がある。 威風堂々とした容貌は、まことに見事な出来栄えであり、余市氏のあとを受けて現在の授与鈴を作っている井上博秀氏によると、「これはまさに小島与一そのものだ」との驚嘆の一語に尽きるという。

 従って、博秀氏の授与鈴は、これとは趣を異にし、可愛らしい表情に仕立てる一方、別に、大きい一組の獅子頭鈴に、その創作的手腕を発揮している。

 獅子頭の土鈴で、今一つ印象的な作品は、多武峯の談山神社の厄除け獅子頭である。昭和46年4月7日に訪れた社務所で、 はじめて巡り合ったこの獅子頭は手塚治虫氏の漫画「キリヒト讃歌」の主人公の顔に似て、不気味なほど実に写実的な作りであり、他にその類を見ない。 当時の授与鈴の平均的値段がだいたい250円か300円であった時に、これは千円であったのだから、その大きさも格別であることが判るだろう。

 なお、千木筥(ちぎばこ)で有名な東京芝の大神宮にも、昨年の夏、獅子頭の土鈴が授与されていたのは、土鈴ブームのせいでもあろうか。 また、昭和47年に訪れた沖縄の壺屋では、土鈴は作っていなかったのに、最近、屋根に飾った火防せの唐獅子を模した壺屋焼きの陶鈴が誕生するに及んで、獅子頭の土鈴は、日本列島を北から南へ駆け抜けたということになる。


初出 昭和53年(1978年)3月29日(水曜日)

本日の一鈴 魔除け獅子鈴 福岡市 香椎宮

魔除け獅子鈴

 

 


本日の一鈴、もう一つ 談山神社の厄除け獅子頭

談山神社の厄除け獅子頭

 本文にある昭和46年に多武峯の談山神社で授与されていたものは山本芳考氏の作品でした。

 右画像は山本芳考氏の型を用いて山本芳香氏が2015年に復元したもので、芳考氏の作品を忠実に再現されています。

 

 


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