(16) 防火
奈良・西の京、唐招提寺で毎年5月19日に行われる有名な行事が中興忌梵網会(ちゅうこうきぼんもうえ)であり、その際、鼓楼の上からハート型の柄の長い唐団扇を撒く、 いわゆる<うちわまき>の習俗は、鎌倉時代の中興の大悲菩薩 覚盛(だいひぼさつかくじょう)上人を偲んで、法華寺の尼僧たちがその霊前に唐団扇を供養したのが、その起こりと言われる。
この宝扇を拾って持っていると「信心を以て此れを受持すれば雷難を免れ婦女は安産し一家は火難を免れ田園に立つれば害虫なく五穀能く穣(みの)り 之を以て扇げば病者は苦熱を去り平癒し産児は生涯健康なる生を送る諸願意の如くならずと云ふことなし」と、同寺の事務所から授けられる<唐招提寺宝扇由来記>には書かれている。 その霊験を説くためには、願い事が広範にわたって効果のあることを強調するのは当然であった。
上田秋成の「雨月物語」に書かれた<吉備津の釜>の釜鳴りの神事で有名な岡山県の吉備津神社から授与される土製の狛犬(立ち犬と座り戌)・鳥、三個一組の呪物のうち、 狛犬の方は、火難・盗難・野獣・子供の夜泣きなどを防ぎ、鳥はこれを食膳に乗せて置くと、喉がつまらないと伝えられている。
「水の難・火難・盗難、あともなし、思ふこと、皆、家内安全、水底山海若寺」
これは、終戦直後、国学院大学で行われた河童祭りの護符として、折口信夫先生が考案された呪文であり、そこには、線画の河童の姿が描かれていた。
寺の名前<海若>とは海神の意味で、カッパは水野神だから、火防せの寺号としては、まことに似つかわしい。
万物の霊長である人間が他の動物と全く違うところは、火を用いるか否かという点であった。そして、世界の神話には、人間が生命の代償として火を入手した物語が多く、 わが国でも。火の神を生んだ伊邪那美命(いざなみのみこと)が焼かれて死んだと、記紀に伝えられている。 火に対する畏怖の念は、火を手に入れた当初からあったことがわかるし、「呪詞」の中に鎮火祭(ほしずめのまつり)が収められていた意味も理解できるのである。
火防せの土器としては、まず、斑鳩の法輪寺の授与鈴が面白い。白鳳時代に聖徳太子の病気平癒を祈って建立されたこの寺は、かつては法隆寺式の壮大な伽藍配置をもち、大いに栄えたが、 平安朝以後次第に衰微し、昭和19年の落雷の為、飛鳥様式の三重塔も焼失してしまったが、つい最近、この塔の再建(昭和50年・1975年に再建)を見たばかりである。
こうして、長年月の間に面目をすっかり改めてしまったこの寺域から、昔の鴟尾が焼け残ったままの姿で以前に発掘されており、その形を模したのが、この土鈴である。 黄金色に彩色され、その背面に、「火難除」、「法輪寺」と陰刻文字が彫られている。
これと似たような火難除けの呪物に栃木県の大平山(おおひらさん)神社の<火防せ獅子>がある。この獅子は、天正年間の合戦で神社が焼失した際、木製であるにもかかわらず不思議なことに焼け残って、 それ以来、社宝にされてきたもので、これに因んで、元来木製のものが作られていたが、今では、<火防せ獅子>の土鈴も見られるようになった。
材質を乗り越えて、そのジャンルを拡大してゆく土鈴の進出は実に目覚ましい。火防せ、雷除けの呪法には、火災保険も災害保険もなかった時代の庶民の生活の知恵が宿っているのである。
初出 昭和53年(1978年)3月23日(木曜日)
法輪寺に保管されている鴟尾(重要文化財、高さ約80㎝、幅約60㎝)は江戸時代の初め(1645年)の台風で倒壊した白鳳時代の講堂のもの。
2004年の発掘で出土した破片がこの鴟尾の欠けていた一部であることがわかり話題となりました。
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