The tomb of Emperor Keikou, the 11th Emeror of Japan.

 薬師寺から唐招提寺を過ぎて、近鉄電車をまたぎ、北に進むと濠を巡らした大きな前方後円墳が見えてきます。
第10代崇神(すじん)天皇の皇子で、、神武天皇から数えて11代目の垂仁(スイニン)天皇の御陵・菅原伏見東陵(すがはらふしみのひがしのみささぎ)とされている宝来山古墳です。
前方後円墳を神仙の住む不老不死の山に因み「蓬莱山」と記し、今の地名は「ホウライ」に宝来の字を当てて、御陵の名前は宝来山古墳、その北側の辺りを奈良市宝来町と称しています。

 

規模 単位:m
墳形全長後円部径後円部高前方部幅前方部高くびれ部幅くびれ部高年代
前方後円墳2271231711815.6  5世紀前半

 

陵印

陵印 現代
前方後円墳

陵印

陵印 昭和15年

 

遠景

遠景・北側から
遠景

遠景・南側から


制札

制札
周濠

周濠
戦前

戦前の写真


 

は号陪塚から

「は号陪塚」(画像左側)から見た垂仁天皇陵です。

 



奥さんの日葉酢媛命(ひばすひめみこと) 陵はもっと北の佐紀路にあります。

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