天理市から桜井市にかけての山麓部には数多くの古墳が築かれており、北から大和古墳群・柳本古墳群・纏向古墳群と呼ばれている。これらの古墳群には初源期の古墳が含まれており、我が国の古墳時代成立を考える上で重要な地域となっている。
上の山古墳は、柳本古墳群の中で最大の渋谷向山古墳(現・景行天皇陵)の前方部北側に近接して築かれた全長125mあまりの前方後円墳である。
平成6年、前方部西側に広がる水田部を発掘調査し、墳丘の周りを巡る幅25m前後の周濠を確認した。周濠の立ち入りには葺き石が施されていた。(下の写真)
葺き石は基底に大型の石材を用い、上部は小型のものを使用している。
周濠内からは、多量の埴輪が出土した。普通円筒・鰭付円筒・壷形・朝顔形などがあり、形象埴輪として盾形がある。また、長さ170cm、幅60cmの板材が出土しており、埴輪とともに墳丘に並べられたと考えられる。
本墳の築造時期は出土遺物から古墳時代前期に位置付けられる。
(上の山古墳の説明パネルより引用)
上の山古墳は、巨大な渋谷向山古墳(現・景行天皇陵)に隣接しているので目立たない存在ですが柳本古墳群の中では渋谷向山古墳(現・景行天皇陵)、行燈山古墳(現・崇神天皇陵)、櫛山古墳に続く大きさで卑弥呼(ひみこ)の鏡で有名な黒塚古墳や天神山古墳等よりも大きな古墳です。
墳形 | 全長 | 後円部径 | 後円部高 | 前方部幅 | 前方部高 | くびれ部幅 | くびれ部高 | 年代 |
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前方後円墳 | 140 | 78 | 17 | 65 | 12 | 古墳時代後期 |