JR桜井線巻向駅から西へ桜井市立纏向小学校の東側に位置し、前方部を東に向けた古墳です。1996年に築造年代を示すとみられる土器(纏向1式という3世紀初頭の土器)が多量に見つかり、発掘調査をしていた桜井市教委は、同古墳が3世紀前半(220〜230年代)に築造された最古の前方後円墳であると発表した。
墳丘上は勝山古墳と同じく大戦中の高射砲陣地になったこともあって著しい削平を受けており、主体部はすでに失われたと見られる。従って、下表の高さは元の大きさの推定値であって写真で見られるように墳丘というイメージではなくなっている。実際、前方部は東側の水田下に完全に埋もれてしまっている。