「杉山古墳」は平城京の中で、大安寺の北、旧境内にある古墳時代中期の前方後円墳で、前方部を南に向けています。 付近は当時和邇氏の勢力下だったので和邇一族の有力者のお墓だったのかもわかりません。
奈良時代に、南都七大寺の一つ大安寺がこの地に移ってきたときに境内にとり込まれました。天平19年(747)の「大安寺伽藍縁起井流記資財帳」に「一坊池井岳」と記されているようです。大安寺境内の隅にあったところから「隅山」と呼ばれているうちに、いつからか「杉山」となったと言われています。
平城京の宮殿から南を眺めるとやや左手に杉山古墳が小山のように見えたことでしょう。その頃は葺石(ふきいし)で覆われてキラキラしていたのでしょうか、それとも既に緑に覆われていたのでしょうか?平城京にとって北を守る玄武が 市庭古墳(伝平城天皇陵)であったとすると杉山古墳は朱雀だったのかもしれません。


前方部墳丘に、大安寺の窯跡(奈良時代後期)が残されており、墳丘西南には窯跡が復元されています。窯は6基あり、前方部斜面を掘り込み、瓦を積み上げ、粘土で塗り固める方式。窯の前方に灰原があって、仕損じた瓦や灰が大量に堆積していたということです。
「杉山古墳には黄金の鶏が一羽埋められており、元旦に塚から出て鳴くという伝説がある」とあるHPに書かれていました。街中で身近な古墳なのでこんな伝説が生まれたのかもしれません。


規模 単位:m
墳形全長後円部径後円部高前方部幅前方部高くびれ部幅くびれ部高年代
前方後円墳154809.8957  古墳時代中期
5世紀後半


 

大安寺地図

平城京の左京に当たります。

平面図



杉山古墳は全長154メートル(墳丘部だけなら南北に120メートル)の前方後円墳。

東側には造り出しもあります。

また、周濠は幅30メートルの水のない空掘であったことも確認されています。周濠跡の湿地は以前レンコン畑にも使われていたようです。


杉山古墳の復元平面図

奈良市埋蔵文化財調査センターの資料より


西から見た全景

全景

上記の復元平面図の左側から眺めた全景。


前方部と後円部をつなぐくびれた部分から葺石(ふきいし)が発見され一部復元されており、元は古墳全体を石で覆っていたのではないかと推定される。

近くの墓山古墳、野神古墳と合わせて大安寺古墳群と呼ばれています。


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