近鉄飛鳥駅から徒歩7分、現・欽明天皇陵の南側に隣接する丘陵上にあって直径8メートル程度の円墳であるとも考えられていますが、古墳の形、築造年代、構造などの詳細は不明です。
実際には古墳というよりも「桧隈の猿石」と称されている四体の石造物で有名です。これらは江戸時代・元禄15(1702)年に現・欽明天皇陵の南側の池田から掘り出されたもので、明治初年ごろにこの墓域内に移されました。4体のうち3体には背面にも顔があり、橘寺の二面石とも関連しているように思われます。
吉備姫王(吉備島皇祖母命)は欽明天皇の孫で、孝徳天皇と皇極(斉明)天皇の生母にあたり、「日本書紀」によれば皇極天皇二年九月に亡くなり檀弓岡(まゆみのおか)に葬られたとあります。また、「延喜式」諸陵寮には「在大和国高市郡檜隈陵域内。無守戸。」とあります。
道標 |
陵印 昭和17年 |
正面 |
猿石土鈴 |