大阪府堺市の本湊焼の土鈴です。「物の始まりゃ/なんでも堺/三味も小唄も/みな堺」と堺音頭に唄われている(こんな歌、もう誰も知らん?)堺は千利休がわび茶を広めた地でもあります。本湊焼はそんな堺で茶道具の焼き物として起こり、そのうち、人形も作り始めたということです。今も、紀州街道沿いの西湊で焼き続けられています。
土鈴の紹介をする前に先ずは付近の様子をご紹介しましょう。
紀州街道 | 船待神社境内です。 | 菅原道真公が船を待つときに座ったとされる石 |
紀州街道は江戸時代の大阪湾岸沿いの交通路として熊野街道の西寄りに整備されました。大坂から住吉、堺あたりまでは住吉街道とも呼ばれ、堺と大坂を結ぶ主要路でした。堺の大道筋から西湊・浜寺石津町を経て和歌山市に至る道です。
本湊焼の窯は大道筋から西湊に入って船待(ふなまち)神社を過ぎてすぐのところにあります。
船待神社は元は塩穴(しおあな)天神と称し塩穴郷にあり、菅原道真公が九州大宰府に流される途中に船を待つ間に祖先に当る天穂日命を祀るこの祠に参拝したと伝えられています。後に船待天神社と改称され当地に移されたということです。
本湊焼の額 | 窯元・津塩吉右衛門さん 気さくにモデルになって下さいました。 |
押入れの襖 堺の古刹、南宗寺の住職の手になるものです。 戦災で焼けなかったので築200年の建物です。今時珍しい黒電話がマッチしています。 |
江戸時代にはメインストリートの紀州街道に面していたこの地も今は住宅街の真ん中です。煙を出す窯は何かと肩身の狭い時代となったとのことでした。
手描き土鈴は大量生産品にはない温かみがあり、手になじむ感じがします。
招き猫土鈴 本来、右手を挙げたものと左手を挙げたもののペア土鈴ですが在庫があった左手だけ買えました。 右手を挙げたものはお金を招き、左手を挙げたものはお客さんを招くそうです。 このページも訪問者が増えるでしょうか。 |
むつみ犬鈴 犬は子宝、安産のシンボル、これも子孫繁栄の縁起物だと思います。 それにしてもリアル。関西っぽいですか。 |
堺・方違神社の幸鶏(さきがけ)鈴 先代の津塩吉衛門さん作 |