鳩鈴 八幡の神の使いを象徴

 鳩が平和のシンボルと考えられるようになったのはわが国ではいつの頃からのことであろうか。 <タカ派>に対する<ハト派>という言葉が広く使われるようになったのも、戦後のことであったから、案外、昭和21年1月13日に発売された煙草「ピース」の鳩のデザインなどが平和と鳩とを結びつけた始めであったかもしれない。 鳩については「枕草子」の<鳥は>の項では全く黙殺されてしまっていて、平安朝びとの関心をひいてはいないし、中世の説話「抄石集」では、淫欲の心に身をさいなまれる存在として描かれ、 近世になって「風俗文選」の<百鳥譜>では、この鳥は巣をつくるのが下手な為、卵を落として雨の日を鳴き悲しんでいるという伝えが記されているなど、その記録はあまり、芳しくない。 そうした中で、浄瑠璃の「義経千本桜」に、鳩は親鳥のとまる枝より三枝下がってとまるという、いわゆる<三枝の礼>を心得た礼儀正しい鳥だと書かれているのは、これは源氏のヒーロー義経の物語であるだけに興味深い。 源氏と鳩とのかかわりは、八幡の神が源氏の氏神として尊崇され、鳩をその使わしめとする考え方に基づくものであった。 「義経記」では、義経が平泉の藤原秀衡に対面する条に、その前兆として、鳩が家の中に飛び入る事を秀衡が見たことが、既に書かれており、「今昔物語」(巻25)にも、源義経が八幡の神を祈願して奥州に軍を進めると、 その上を鳩が天翔(あまかけ)ったと見えているから、八幡の神とその使わしめとしての鳩との関係は、早く平安時代には成立していたことがわかる。

 こうして、八幡宮の授与鈴に鳩鈴が加えられることとなった。そして、宇佐・石清水・鶴岡の三八幡宮に、ともに鳩鈴が見られるのも、嬉しいことである。 まず、宇佐神宮の鳩鈴だが、これは<みくじ鳩鈴>と呼ばれ、彩色に富んだなかなかの佳品である。これに対して。石清水八幡宮の鳩鈴は、戦前には小さな鳩鈴を三個一組にして紐で束ねたものであったが、 戦後は形を大きくして、一羽だけの鳩鈴に仕立ててある。戦前戦後とも、この神社の鳩鈴は簡素な作りで、彩色もほとんど為されていない。

 三社の中で、最も華やかなのは、何と言っても鶴岡八幡宮の鳩鈴である。尾羽は茶色、羽根は挽茶色と古代紫、背から羽根にかけては辛子色とローズピンクの彩色、 嘴(くちばし)はブルーグレーで、鶏冠(とさか)は薄紫、眼には朱を入れて中間色を多彩に使った華やかで優雅な色調は誠に素晴らしい。

 この土鈴は昭和25年頃から授与されたもので、神宮の話では京都の嵯峨焼きの土鈴がその故郷であったという。 そういわれてみれば、嵯峨の鶯鈴と似通うこの高雅な形と彩色はなるほどとが天のゆくところである。 このみごとな土鈴も、久しくその姿を消して昨年までは見ることができなかったが、この3月9日に訪れた社務所で再開することができたのは、何よりも喜ばしいことであった。 ただ、今度の鳩鈴は佐賀県鹿島市能古見(のごみ)の製作で、形も彩色の構図も以前のものを踏襲してはいるが、古代紫・緑色・黄色・灰色・赤色の五色を用いて、鮮明な色のコントラストを強調した派手な色調に改められている。 この中にもナウな色彩感覚に時代の変遷が伺われるようだ。


初出 昭和53年(1978年)3月17日(金曜日)

本日の一鈴 鳩鈴(神奈川県鎌倉市・鶴岡八幡宮)

鳩鈴

 のごみ人形の鳩鈴です。

 鈴口の横にスタンプで「鶴岡八幡宮」と印字されています。

 


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