(8) まさる
としの矢は菖蒲刀のつかの間にはや破魔矢と引きかはりぬる
この狂歌は、ついこの間、端午の節句が済んだと思っていたら、いつの間にか年の暮れになってしまったという、烏兎匆匆(うとそうそう・月日の経つのが慌ただしく早いさま)の思いを、 年中行事に見られる子供の遊びに託した詠嘆である。 さて、この破魔矢だが、これは中世の狂言「八幡の前」などに描かれているように、元来は季節にかかわりなく子供のもてあそぶ小弓であったが、近世になると、西鶴の「好色五人女」や「世間胸算用」などに見られるように、 子供の正月遊びの玩具とする考え方が生じ、年の市で羽子板などと一緒に売られて、これを男の児のいる家への贈り物とする風習が行われるようになっていった。 そして、近世も後期になると、<ハマユミ>の<ハマ>に「破魔」の字が固定して用いられるところから、これが邪鬼悪霊を払う縁起ものとしても観念を造っていった。 勿論、古くは弓や矢といった武器がそれ自体呪的威力を備えたものと思われており、悪魔払いの思想は、別に近世になって新しく起こったことではないのだが、この「破魔」という文字による合理的思想が、いっそう、 その考え方の妥当性の裏付けとなったことは間違いない。 こうして、今日の初詣の際、各寺社から授与される破魔弓・破魔矢の習俗が、育まれてきたわけである。
この弓の思想に、鈴を結びつけたアイデアの代表的な土鈴が福島市の<まさる>である。これは弓の弦に土鈴(金着色と赤茶色の素焼きのものとの2種類があり、 獅子頭に見立ててたてがみを張り付けたものもある)を付けて、この弓を振ると、ちょうど柴又帝釈天の郷土玩具<はじき猿>の要領で、弦の上部から土鈴が自然にすずやかな音をたてながら下りてくる仕掛けのものであり、 福島市信夫公園の羽黒山神社で、毎年陰暦1月15日に、その境内の露店で縁起物として売られているのが有名である。三春の<まさる>も似たようなものだが、 いずれも、売り手が「去年にまさる、去年にまさる」とまくし立てて新しい年の始めを言祝(ことほ)いだその売り声にこの土鈴の由来があった。今年は去年にまさって素晴らしい、良い年であると縁起を担いだのである。 しかし、<まさる>は、本来は文字通り「魔去る」の意味であり、音色によって魔物を駆逐しようとする鈴本来の呪的意義が、この<まさる>の習俗の根底にうかがわれるのは、いうまでもない。
なお、平安朝に<鳴弦>とか<弦打ち>といって、弓の弦を鳴らすことにより、妖気を払おうとした習俗のあったことを想う時、その音色によって魔物を除去し、 良い年を迎えようと願った人々が弓と土鈴との結合によって<まさる>を考案したことはまことに興味深く、甲府の弓張鈴もこの同系といえよう。 京都八坂神社の「おけら火」が元朝の心あらたまりをかき立てるすがすがしい視覚的な世界であるならば、福島の<まさる>は、まさに、その快い聴覚的な世界であるということができよう。
初出 昭和53年(1978年)3月10日(金曜日)
竹弓に埴鈴を通し先に幟旗のように旗を付けたお正月の縁起物です。
羽黒山神社の他、福島市の稲荷神社や郡山市如宝寺の祭礼に売られているようです。
竹弓の先からコロコロ鈴音を鳴らしながら埴鈴が降りて来ます。
まさるの画像は良いものを持っていなかったので日本土鈴館のブログ「鈴を振りふり」から借用しました。 このページには福島県の土鈴がいろいろ紹介されていました。
余談ですが東京・日枝神社にも「まさる」の守土鈴があります。こちらはお猿さんの形をしています。。
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