現・弘文(こうぶん)天皇陵  長等山陵(ながらのやまさきのみささぎ)
平松亀山古墳

滋賀県大津市御陵町
The tomb of Emperor Koubun, the 39th Emeror of Japan


 第39代、弘文天皇の陵。陵形は円丘 。
 弘文天皇って誰?大友皇子(天智天皇の第一皇子)と呼ぶ方が有名だと思われます。通称、大友帝とも呼ばれます。
672年の壬申(じんしん)の乱で、天智天皇の弟・大海人皇子(天武天皇)に敗れ、「山前(やまさき)」の地で二十五歳の若さで自殺したとされている悲劇の主人公です。
 この大友皇子は、長く天皇と認められませんでしたが、明治3年(1870)ようやく弘文天皇とおくり名され、死地とされた長等山麓の塚が陵墓とされました。
 
陵印

陵印
保管場所は京都の月輪陵墓監区事務所です。
陵印

陵印
昭和15年11月
看板

制札です。
 


 場所は少し判りにくいです
 三井寺の方から歴史博物館を通って行けると思いましたが、結局は市役所の前を通って、財務局とタバコ屋さんの間を曲がり、少し後戻りするといった感じでした。


old_photo

戦前の写真
 
正面

弘文天皇陵
正面

全景

市役所前の道にはこんな大津絵のプレートが並んでいます。


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猫 このページは2009年 2月 4日に更新されました。
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