現・用明(ようめい)天皇陵  河内磯長原陵(こうちのしながのはらのみささぎ)
春日向山古墳

大阪府南河内郡太子町春日

Mapion

 聖徳太子は知っていても、そのお父さんは誰かご存知ですか?ここは聖徳太子の父親、31代用明天皇の墓。古墳時代終末期の古墳として最大級のスケールを有し、天皇陵に相応しいものです。
 付近には敏達陵孝徳陵推古陵、聖徳太子陵等が集まっておりエジプトの王家の谷になぞらえ、王陵の谷とよばれる磯長谷古墳群を形成しています。
地図で見ると推古天皇陵と聖徳太子陵を結ぶ直線の丁度中間の位置にこの用明天皇陵があります。
 一代前の敏達は前方後円墳に葬られる最後の天皇となりましたが、この用明陵は、初めて方形の墳丘をもった王墓ということになります。

規模 単位:m
墳形直径高さ年代
方丘、方墳東西約67、南北約6310.5古墳時代終末期、7世紀



陵印

陵印
保管場所は大阪の古市陵墓監区事務所(応神天皇陵)です。
ryouin_S16.05.22

陵印 昭和16年
 
看板

制札です。
 


old_photo

戦前の写真
 
正面

正面
 
遠景

手入の良い生垣が巡っています。
 


ryouin_syoutokutaishi_s17.05.01

皇子 聖徳太子 磯長墓

陵墓印 昭和17年5月


聖徳太子 磯長墓
大阪府南河内郡太子町太子2146 叡福寺(えいふくじ)内 母 、穴穂部間人(あなほべのはしひと)、妃の膳部大郎女(かしわべのおおいらつめ)との三骨一廟



来目皇子 埴生崗上墓(くめのみこ はにうおかのうえのはか)
塚穴古墳(羽曳野市はびきの3丁目)については羽曳野市の塚穴古墳発掘調査現地見学会資料が詳しい。
ryouin_ouji_s17.02.11

来目皇子 埴生崗上墓
塚穴古墳
陵墓印 昭和17年2月


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猫 このページは2009年 2月12日に更新されました。
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