岩戸山古墳

福岡県 八女市大字吉田


 夏休みを利用して九州まで遠征しました。そこで今回紹介するのは、被葬者が特定されている数少ない古代の古墳としても有名な岩戸山古墳です。とにかく古代の古墳の治定はほとんどが誤りで、この岩戸山古墳の他には檜隈大内陵(野口王墓古墳、天武・持統合葬陵)御廟野古墳(天智陵)位しか無いのではと言われています。
 岩戸山古墳のある八女市は福岡県の南内陸部、筑後にあります。鉄道は通っていないので、博多方面からはJR久留米駅に出て、西鉄バス福島方面行に乗り、約40分「福島高校前」で下車、右手に歩約5分で史跡公園に着きます。「岩戸山古墳」を中心に歴史資料館や復元住居が並び、きれいな公園として整備されています。
 岩戸山古墳は規模では宮崎県西都原の女狭穂塚(めさほづか)古墳に次ぐ九州最大級の前方後円墳で、全長約135m、後円部径約60m・高さ約18m、前方部幅約92m・高さ約17m。墳丘周囲には幅20mの周堀と外堤を持ち、外堤を含めると全長約170mの大型前方後円墳となります。古墳の東北隅には外堤につづく一辺約43mの方形の別区(べっく)が存在しています。墳丘の内部主体は未発掘ですが、墳丘、別区から多量の石製品、埴輪が出土しています。
 最初に書いた被葬者ですが、筑紫風土記の記述とこの古墳の大きさ、石製装飾品の配列等との照合から筑紫君磐井(ちくしのきみいわい)の墳墓とされ、6世紀前半の築造と考えられています。6世紀初頭の継体天皇の時代、畿内政権からの独立を図った磐井は、朝鮮半島に出兵する将軍・近江毛野臣(おおみのけなのおみ)を、新羅と組んでさえぎろうとしましたが、畿内から来た援軍大伴・物部の軍団に破れました。
後円部前方部
← 後円部        前方部→
手前が別区です。

スタンプ
歴史資料館のスタンプ
チケット
歴史資料館のチケット
埴輪
歴史資料館の埴輪
  写真の中央が岩戸山古墳、
右上の空き地が別区です。
 
 
別区
別区
家屋
復元家屋・倉庫
復元石造が並べられています。
一辺約43mの正方形の台地で筑後の国の風土記にも記載があります。古墳と同時期に作られ祭儀の場所であったと考えられています。
全国の古墳の中でこのような「別区」が明確に残っているのはこの岩戸山古墳だけです。
高床倉庫と竪穴住居の復元品です。八女市で発見された赤氏遺跡(弥生時代後期)をモデルにしているそうです。
 
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猫 このページは2002年 8月19日に更新されました。
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