The tomb of Emperor Sujin, the 10th Emeror of Japan.

 ところで近くにある箸墓は卑弥呼の墓とされている。卑弥呼(248年没)、崇神天皇(258年崩)と並べると同時代に活躍したこととなる。そこで崇神天皇を邪馬台国を共治した卑弥呼の男弟王とし、いったん箸墓に合葬されたあと、大和王権の始祖として4世紀にここに改葬したという説も生まれた。

南アンド山古墳
右奥に崇神天皇陵の鳥居が見える。
櫛山古墳

 崇神天皇陵には陪塚がいくつか残っています。 西側にあるアンド山古墳は 120mの前方後円墳。大きさが、主塚のちょうど半分。 隣に、さらに半分の大きさの南アンド山古墳があります。 国道を挟んで伊射那岐神社境内の裏手の丘は全長113mの前方後円墳・天神山古墳も陪塚と考えられています。
 また、東側(山側)には全長約160mの大型「双方中円墳」の櫛山(くしやま)古墳があります。

 

 

近鉄新アミマ倶楽部のデジタルスタンプ

 

 崇神天皇陵を過ぎて間もなく天理市トレイルセンターがあります。ここで一服するのも良いでしょう。

 ウオーキングに疲れた方は、ここから西に、黒塚古墳を経由してJR柳本駅に行くこともできます。

 

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