第16代 仁徳天皇の皇后磐之姫命(いわのひめノみこと)のお墓、平城坂上陵(ならノさかノうえノはか)です。 全国で23番目の大きさの前方後円墳です。
 磐之姫命は葛城襲津彦の娘で、武内宿禰の孫にあたり、皇族外の身分から皇后となった初例とされています。 また、仁徳天皇との間に4人の男御子(履中天皇・住吉仲皇子・ 反正天皇允恭天皇)を生んでいます。

 夫・仁徳天皇のお墓は大阪府堺市堺区大仙町にあり世界最大のお墓として有名ですが、奥さんの方はかなり離れた奈良市の北部にあります。 磐之姫命は夫の浮気を許さず、それきり夫の元に戻らなかったやきもち焼の女性と言われています。死んだ後も近くに居たくなかったのですね。
 『古事記』、『日本書紀』には、仁徳天皇のの浮気と磐之媛の嫉妬のお話が色々あるようです。当時としても有名なスキャンダルだったのでしょう。 その浮気相手の一人である黒日売(黒姫・くろひめ)のお墓とされるこうもり塚は岡山県にあります。



規模 単位:m
墳形全長後円部径後円部高前方部幅前方部高くびれ部幅くびれ部高年代
前方後円墳219124.516.214513.6  古墳時代・中期





水上池越しの遠景



参道

陵印

陵印
奈良のIさんからの
戴き画像です。



宮内庁の作った制札



遥拝所



cycling_ road


  

京奈和自転車道が前方部に沿って整備されています。画像左側が磐之姫命陵の前方部、右側が水上池です。

 

 濠

 濠


埴輪列


後円部の東側に埴輪列が復元されて展示されています。

 

 

 


 

古墳の写真を整理していると似たようなものが多くて、どれも同じように見えてきます。何か特徴を、ということで参道脇で目立っていたキノコを並べてみました。
ところで今の位置に治定されたのは明治になってからで、その前は平城天皇陵とされていたようです。そこで磐之媛墓=平城坂上墓はというと、若草山頂にある鶯陵とされていました。



古道を歩く 佐紀路 平城天皇陵 コナベ古墳


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