The tomb of Emperor Nintoku, the 16th Emeror of Japan.

 日本最大の前方後円墳です。大山古墳(大仙古墳・だいせんこふん)、 百舌鳥耳原中陵(もずみみはらなかのみささぎ)とも呼ばれています。
前方部を南に向けた墳丘は、広さ46万㎡の規模で、3段に築成されています。

 北側の田出井山古墳(現・反正天皇陵)・南側のミサンザイ古墳(現・履中天皇陵)とともに百舌鳥耳原三陵と呼ばれ、現在はその三陵の中陵として宮内庁が管理しています。
また、これらを中心に大小46基の古墳からなる百舌鳥古墳群が約4km四方に広がっています。

 仁徳天皇(第16代)は別名:大雀命(おおさざきのみこと)、西暦五世紀初め頃の大王。応神天皇(第15代)の子。履中(第17代)・反正(第18代)・允恭(第19代)天皇の父。西暦413年、東晋の安帝に朝貢した倭王讃(『南史』)と見られています。古事記に「御陵は毛受の耳原にあり」ということで大山古墳が比定地になっています。 
地元の人は「仁徳さん」とか「御陵さん」とか、まるで近所のおじさんのように親しみをこめて呼んでいます。前の通りは御陵通、チンチン電車(阪堺線)の最寄り駅は御陵前というようにここでは「御陵」というのは固有名詞になっています。



規模 単位:m
墳形全長後円部径後円部高前方部幅前方部高くびれ部幅くびれ部高年代
前方後円墳4862493530533163255世紀



前方部 堀 野鳥
正面。南面した前方部です。
堀があるので古墳が一層大きく感じます。
堀に住む野鳥。他にも鴨、亀、鯉など街中とは思えない自然が残っています。
周遊路

全周約2.8㎞の周遊路が整備されており、
早朝から歩いている人がいます。
後円部

後円部。大きくて全体像が見えません。

陪塚

陪塚・永山古墳と堺市の中心部。

日本最大の前方後円墳にふさわしく、周囲に陪塚と考えられる古墳が10基以上あります。
永山古墳は陪塚といっても墳丘の規模は全長約104m、後円部径約63m、高さ9m、前方部幅約67m、高さ8mで結構大きな前方後円墳です。 大山古墳(仁徳天皇陵)の北西約50mに隣接しているので宮内庁は陪塚として管理していますが規模から言えば陪塚ではないかもしれません。

 



陵印

陵印

左:陵印 昭和16年

右:陵印 現代

 



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