鬼瓦

 仮名草子「きのふはけふの物語」の中に納められた江戸笑話集に、市に立った八十ばかりの老婆を目も放たず見つめる若衆に、さては惚れられたのかと、 すっかりいい気分になった老婆が、何か御用かと問うと、「私は瓦師の息子だが、あなたの顔が鬼瓦の手本によいと思って見ているところだ」といわれて、大いに腹を立てたという笑話がある。 年齢とはいえ、鬼瓦に似た面相と言われて立腹した老婆には同情を禁じ得ない。

 鬼瓦の怪異な容貌については、すでに狂言の「鬼瓦」に、次のように見えている。

 訴訟がうまく運び、新しい領地を賜って帰国する大名が、日頃信仰する京都の因幡堂薬師(京都市下京区にある寺院「平等寺」)にお礼参りに出かけ、 屋根の鬼瓦を見て、家に残してきた女房の顔を思い出して泣くというストーリーで、「目のくりくりとしたところ、また、鼻のいかついところなどは、よう似たではないか」とか、 「あの口の耳せせ(耳の後ろにある小高い骨)までくわっと引き裂けたところは、常々汝を叱るときの顔にそのままじゃ」などと、その具体的な描写が試みられ、 「鬼瓦という物はいかめな物(おそろしい物)じゃなあ」と詠嘆する場面がある。

 ここには、大名の恐妻家ぶりが顔をのぞかせていると同時に、その北の方の恐ろしい面相にも久しく逢わないために、かえって懐かしさを覚えたという、人の心の矛盾が面白い。

 さて<鬼>は、「古事記」に「あしきもの」、「日本書紀」に「かしましき鬼」などの呼称が見られるように、古くから邪神と考えられていたが、仏教や陰陽道の影響から、 その姿はさまざまに変化した。しかし、<鬼>は常に荒ぶる神の代表と考えられていた結果、「悪を以て悪を制する」の譬えではないが、その力を借りることによって、全ての悪を追い払おうとする、魔除けの信仰が生まれていった。 大屋根の棟の端に飾る鬼瓦も、この鬼面によって災難を退けようとした、魔除けの思想に基づくものに他ならない。

 この鬼瓦を象った土鈴の内、社寺から授与された代表的なものに、太宰府天満宮の鬼瓦鈴、博多筥崎宮の厄除け鬼瓦鈴、奈良県法隆寺東院の鬼瓦鈴などがある。

 太宰府天満宮の鬼瓦鈴は、落ち着いた朱色と木賊(とくさ)色との二個一組からなる土鈴で、平たい構造の為、音は必ずしも快い響きをたてないが、 そのユニークな鬼面の図柄に特色があり鈴の背面には「太宰府天満宮」の陽刻文字が刻まれている。

 この、どちらかといえば象徴的な手法で描かれた鬼面に対して、極めて写実的な手法で作られているのが筥崎宮の鬼瓦鈴である。 特に、鈴としての音色を響かせるために厚みを持たせて膨らませた、その造形的な工夫は見事で、それだけに音色は美しい。 この鬼瓦鈴は、背面に「厄除」と筥崎宮の社印を陰刻した文字が刻まれており、かつては緑・赤・黒の三種類があったが、現在では赤と黒だけが作られている。

 これらに対して如何にも鬼瓦そのままの構成を見せているのが、浄瑠璃寺や法隆寺東院の鬼瓦鈴であり、中でも浄瑠璃寺のは、鬼面の部分を浮き彫りにした分だけ鈴としての音色がさえている。 こうしたところに、それぞれ、土鈴作家たちの苦心の程がうかがわれて、興味深い。

 なお、鬼瓦鈴とは別に、例えば出雲日御碕神社の鬼面守り鈴のように、鬼鈴が全国の社寺から授与されているものも災厄避除悪魔退散の鈴守りであった。


初出 昭和53年(1978年)3月30日(木曜日)

本日の一鈴 博多筥崎宮の厄除け鬼瓦鈴

博多筥崎宮の厄除け鬼瓦鈴(井上博秀 作)

 井上博秀 作

 

 


本日の一鈴、もう一つ 浄瑠璃寺の鬼瓦鈴

浄瑠璃寺の鬼瓦鈴

 右の画像は山本芳考氏の型を用いて山本芳香氏が復元したもの。

 また、浄瑠璃寺の鬼瓦鈴は滋賀・江州物産の中野和彦氏がオリジナルの型で授与鈴として復活されています。

 


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