「信貴山の毘沙門さん」と親しまれ広大な境内に舞台造りの豪壮な本堂、虚空蔵堂、多宝塔、多くの塔頭寺院などが点在しています。「甍を並べている」というよりは山の起伏を利用したテーマパークか巨大迷路といった感じの配置です。
「和州旧迹幽考」には,聖徳太子がこの地において物部守屋の討伐を祈願したときに,虎を供にした毘沙門天が現れて戦勝の秘法を授けられ、その日は寅の年,寅の月,寅の日、寅の時刻だったそうです。太子はそのご加護で敵を滅ぼすことが出来、そこで信ずべき貴ぶべき山として「信貴山」と名付け、寺を建立したとの伝承があります。
朝護孫子寺 本堂 毘沙門天 |
千手院 毘沙門天王 |
朝護孫子寺 本堂遠景 前にあるのは世界一大福寅 |
本堂正面扁額 両側に金色のムカデが這っています。これは毘沙門天王のお使いです。 |
日本一大地蔵尊 玉蔵院 |
本尊の毘沙門天は福徳開運、商売繁盛に霊験あらたかとされる神様です。「福徳開運、商売繁盛」とは、お金がたくさん集まってくること。故におアシ(=お金)がたくさんある百足(ムカデ)さんは毘沙門天のお使いということになっています。
七倉土鈴 |
寅鈴 本堂授与 |
干支鈴・午 玉蔵院 |
国宝の信貴山縁起絵巻「飛倉」の巻には、鉢が倉を宙に浮かせ、それを見て慌てふためく長者夫婦が描かれているそうです。 その倉が飛んできたのが信貴山奥の七倉と呼ばれるところで、それにちなんで毘沙門天の加護で七つの倉が持てるようにと願って作られたのが上の七倉土鈴です。 |