The tomb of Emperor Gokomatsu, the 100th Emeror of Japan.
京都府京都市伏見区深草坊町
第100代(北朝最後の第6代) 後小松天皇の陵です。
深草北陵(深草十二帝陵)は第89代 後深草天皇以下12人の天皇の陵です。
父・北朝第五代・後円融天皇の後を受け1382年に即位したが、明治44年(1911年)に南朝が正統とされたため、在位期間が南北朝合一以降(1392年〜1412年)に繰り下げられてしまっている。 それでも南北朝合一以降の最初の天皇ということになる。
陵印 |
陵印 昭和15年11月 |
制札 2005年2月 |
戦前の写真 |
正面 2005年2月 |
道標 2005年2月 |
「後小松天皇」と追号されが、「小松帝」は第58代光孝天皇の異名。 光孝天皇は兄の孫・陽成天皇の廃位のち皇位につき、その子孫は長く皇位を保った。 南北朝合一が現実となり、自らの正統性を示し子孫が長く皇位を保つようにとの願いが感じ取れる。
「一休さん」でおなじみの禅僧一休宗純は後小松の落胤とも伝えられている。