4世紀後半に、古市古墳群の中で最初に造られた前方後円墳で、古市古墳群の中では最も北側にある古墳です。
実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「藤井寺陵墓参考地」(被葬候補者:第19代允恭天皇)に治定されています。
「城山」という名は、室町時代にこの古墳が城として利用されたことによると考えられますが、城山とい名の古墳は全国にいくつもあり、区別するために所在地の地区名(旧村名)である「津堂」の名を付けて呼ばれいます。
墳形 | 全長 | 後円部径 | 後円部高 | 前方部幅 | 前方部高 | くびれ部幅 | くびれ部高 | 年代 |
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前方後円墳 | 208 | 128 | 16.9 | 117 | 12.7 | 4世紀後半 |