竜佐山古墳と並んで仁徳陵古墳(大仙古墳)の南に接してある西向きの前方後円墳で、同古墳の陪塚と考えられます。
その名称は江戸時代・大鳥郡中筋村の庄屋南孫太夫の所有であったことに由来し、明治初期に南家から国に納められました。
古来、大仙陵の濠水は広大な農地を潤しており、代々庄屋であった南家は陵地の修復にあたっていました。
第13代の堺市長南治好氏は、この南家18世でした。
墳形 | 全長 | 後円部径 | 後円部高 | 前方部幅 | 前方部高 | くびれ部幅 | くびれ部高 | 年代 |
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前方後円墳 帆立貝形 | 56 | 48 | 30 | 古墳時代中期 |