大阪府 大阪市天王寺区茶臼山町1
聖徳太子創建で有名な四天王寺のすぐ南西にある茶臼山は、被葬者は不明ですが、5世紀後半に造営された全長200mの前方後円墳とされています。『日本書紀』には四天王寺が「難波の荒陵(あらはか)」に建てられたという記述があり、四天王寺境内には5世紀の大首長の墓に使われた長持形石棺があることも、付近に大古墳があった傍証になっており、荒陵=茶臼山という推測が成されています。
周濠のような河底池(こそこいけ)は、奈良時代の延暦(えんりゃく)7年(788)に和気清麻呂(わけのきよまろ)が河内川(大和川)の流水を 大坂湾に引こうと上町台地を東西に横断する人工運河を引こうとして失敗した時の遺跡といわれています。従って、茶臼山は荒陵ではなく河底池を掘った残土を積み上げたものという説もあるようです。
また、茶臼山は、大阪冬の陣の際、徳川家康の本陣となり、夏の陣では真田幸村が布陣し激戦地となったことでも有名です。
現在、茶臼山古墳や河底池、もと住友邸の庭園である慶沢園一帯は天王寺公園にとり入れられ、有料で一般公開されています。珍しく、入場料の必要な古墳です。入場料のお陰で都心の割には人も少なく、よく整備もされているので入ってみる価値はあるようです。
墳丘 | 墳丘 パソコンに熱中する人もいました。 |
慶沢園。 5月の景色。 |
公園の噴水。天王寺の街がすぐ近くです。 | 入場券。 | 公園の花壇。よく整備されています。 向こうには大阪のシンボルの一つ、通天閣が。 |
堀越神社(天王寺区)の玉寿々 復刻授与!
堀越神社は茶臼山の東側、天王寺駅からは北へ徒歩5分のところです。
『第33代推古天皇の御代、時の摂政聖徳太子が、太子の叔父君に当らせられる第32代崇峻天皇の徳を偲んで、風光明媚にして長松直々たる茶臼山の地をえらばれ、四天王寺建立と同時に当社を建立創建されたものであります。
古くより明治の中期迄、境内の南沿いに美しい堀があり、この堀を越えて参詣したので堀越という名が付けられたといわれています。』(御由緒より抜粋)
ところで玉寿々は節分の日の2月3日朝10時の神事を経て、10時40分頃から先着200名限定で授与されました。木箱入りで3000円と、少し高額ですが、宮司さんのプロデュースで渾身の復刻作品だそうです。
戦前に授与されていた名工「楽山」作の復刻版で、宝珠に茶臼山の文字が入っています。 麻紐も別染め、箱書きは楽山さんの娘さん(と言っても娘じゃないですけど)が書かれています。それと、昭和11年〜19年まで、9年で途絶えてしまっていた干支鈴も、来年(2004年)の申から復活して完結させるそうです。
途絶え過ぎやちゅうに(x_x) ☆\(^^;) ぽかっ
写真はあごくん☆@長崎平戸がゲットされて掲示板に貼り付けてくれたものです。