奈良県では「奈良まほろばソムリエ検定」というご当地検定が行われています。その公式テキストブックを読んでいると奈良市の陵墓の項目の最後にこの「黄金塚陵墓参考地」が
載っていました。聖武天皇陵・光明皇后陵・・・の他のところには全て行ったことがあるのにここだけはまだってことで、行ってきました。
しかし、窪之庄町って結構広い。それにMapionにもGoogleMapにも黄金塚陵墓参考地ってのは載っていない。しかしまぁ、遺跡地図等で調べていくと迷わずには行けました。
ところで黄金塚古墳というのは全国的には他にもいろいろあるので、ここは地名を入れて帯解黄金塚古墳とも呼ばれています。
被葬者とされている舎人親王(676 - 735)は、天武天皇と天智天皇の第5女・新田部(にいたべ)皇女との間に生まれた皇子で聖武天皇や藤原四兄弟の時代を中心として
政権の中枢部にいたものの天皇とはなれず、七男・大炊王(おおいおう)が淳仁天皇として即位すると、天皇の父として崇道尽敬皇帝(すどうじんけいこうてい)と追号されている。
もちろん後に桓武天皇が怨霊となった弟・早良親王に追号した崇道天皇とは別人である。
また、舎人親王は養老4年(720年)5月には自らが編集を総裁した『日本書紀』を奏上しており、2020年の『日本書紀』奏上1300年に向け記念行事が計画されている。
ただし、この古墳は7世紀中頃築造と確認されており、舎人親王の没年とは隔たりがあって別人の墓所となる。
墳形 | 墳丘長 | 年代 |
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方墳 | 26.5 | 7世紀中頃 飛鳥時代(古墳時代終末期) |
正面