「嶋嘉橋」と聞いても地元の人でもピンとこないかもしれません。
興福寺南円堂からまっすぐ南へ、猿沢の池の南西に大きな灯篭を両側に置いて率川に架る小さな橋です。
橋幅は3mくらい、欄干に橋の名があるかと探しても見当たりません。
江戸時代の中頃、椿井町の嶋屋嘉兵衛が明和七年(1770年)庚寅五月に伊勢街道(上街道)の出発点として架けたとされています。
当時は伊勢へのお蔭参りが盛んで、一日に何万人もの人がこの橋を渡り、賑わったと思われます。
写真左 嶋嘉橋
北側から見た風景、ここから南向きに伊勢街道が始まります。
左奥の空地には「魚佐旅館」という老舗旅館がありましたが、2013年に約150年の歴史に幕を閉じました。現在、跡地は結婚式場「KOTOWA奈良公園」になっています。
写真右 中之島
率川改修の時に集められた石仏(舟形地蔵)が祀られています。
率川は春日山山麓より鹿苑の南を通り、鷺池と荒池を流れ猿沢池の東付近で尾花谷川と合流し、猿沢池の側を流れ、嶋嘉橋、元林院の絵屋橋を通り西に流れ、伝香寺東を通りさらに西へ流れ佐保川にそそぎます。
ただし、猿沢池の西から下流は暗渠になっています。
道祖神
今御門町道祖神社(猿田彦神社・さるたひこ じんじゃ)は、第51代平城天皇(へいぜいてんのう)の時代に元興寺境内に創建されたと伝えられています。
祭神は、猿田彦命(サルタヒコ)と市寸島姫命(イチキシマヒメ)です。
古来より、道祖神、妻神、宝神として名高く、道開き・商売繁盛・開運招福の神であり、また良縁・安産の神すなわち妻神として多くの女性の信仰を集めてきました。
また境内にある巨石は、宝の神として勝負事の守護神とされています。 つまり博打の神様なのですが、 その昔、この道祖神が、元興寺の御霊神社の神様と博打をうって道祖神が敗けたので、その氏子は全部御霊神社に取られ、 御霊さんの方は今でも沢山の氏子をもっているが、道祖神さんの方は僅かに今御門町だけを氏子とされています。