大和郡山の土鈴
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先月はNHK大河ドラマは「豊臣兄弟」に関わる土鈴を紹介しました。続いて今月は主人公の豊臣秀長の居城のあった大和郡山市に関連する土鈴を集めてみました。

郡山は金魚の故郷として知られています。
しかし、これは秀長さんとは無関係。 柳沢吉保の子・吉里が享保9年(1724年)甲斐の国から郡山藩主として国替りしてきた時に下級武士の内職として持ってきたと伝えられています 。
赤膚焼窯元・3代目
小川二楽さん作。
ヘッダー、フッターにも赤膚焼の金魚土鈴を挙げました。ヘッダーは三代目小川二楽さんほ黒出目金、フッターは4代目小川二楽さんの本焼き金魚です。

文楽・歌舞伎の「義経千本桜」に出てくる源九郎狐を祀った稲荷神社。
豊臣秀長が郡山城の鎮守として吉野から移したそうな。普通なら勧請して分社を創建するのでしょうが 、さすがに権力者、分社ではイマイチと思ったのでしょう。
地元では日本三大稲荷の一つとしています。
ところで奈良市の山の寺念仏寺にも源九郎稲荷が祀られていて、昔は賑わったそうですが、こことの関係はどうなのでしょうか?
赤膚焼窯元・3代目
小川二楽さん作。

柳澤神社は大和郡山城の本丸跡にあって、甲斐国甲府藩より転封された郡山藩主・柳沢吉里の父であり、5代将軍・徳川綱吉に重宝された側用人の柳沢吉保を祀る神社で、1880年(明治13年)10月29日に創建されました。
付近は桜の名所で、桜の季節にはお城祭りで賑わいます。
赤膚焼窯元・3代目
小川二楽さん作

矢田寺は「お地蔵様」と「あじさい」のお寺、別称を「あじさい寺」ともいい、「矢田のお地蔵さん」でも親しまれています。
土鈴はやっぱり紫陽花です。
中央と右は赤膚焼窯元・3代目
小川二楽さん作、
左のお地蔵様と紫陽花の組み合わせも二楽さんかもわかりませんが不明です。

松尾寺は、舎人親王が日本書紀の無事完成と厄除けの願をかけて建立された日本最古の厄除霊場です。
厄除祈願は“まつのおさん詣り)”といって全国各地よりの善男善女で賑わいます。
松尾寺へは結構な坂道ですが、この土鈴を求めて我が家から自転車で出かけたことをよく覚えています。
作者不詳

薬園八幡宮(やくおんはちまんぐう)は奈良時代平城京の南にあった大宮人のための薬草園に建立されたと伝わる古社で、境内に50種余りの薬草見本園があります。
なぜ柘榴の土鈴が作られたのかは定かではありませんが、柘榴は古代から薬用とされ、特に樹皮や根皮は生薬「石榴皮(せきりゅうひ)」として寄生虫駆除や下痢止め 、喉の不調に用いられたそうですので薬園八幡宮にふさわしいデザインとして採用されたのかもしれません。
この土鈴は赤膚焼窯元・3代目・小川二楽さんが納入見本として作られた土鈴だそうです。ただ正式注文が入る前に二楽さんが亡くなってしまったので幻の土鈴となったようです。

上記と同じく薬園八幡宮(やくおんはちまんぐう)の土鈴で神紋(社紋)入りです。
これも赤膚焼窯元・3代目・小川二楽さんが見本だけ納入された幻の土鈴だそうです。

わが国最初の鋳造貨幣「富本銭」の土鈴です。
富本銭を鋳造した遺跡は明日香村にありますが現物が最初に出土したのは大和郡山市九条(平城京跡)でした。
昭和の時代には最初の貨幣は「和同開珎」と習いましたが現在では教科書にも「富本銭」と書かれています。
地元での出土のニュースにいち早く土鈴化したのは赤膚焼窯元・3代目・小川二楽さんでした。