全国でも22番目の大きさ、古市古墳群内で5番目の規模を誇り、同古墳群内のほぼ中央に位置する大型古墳です。

 前方部を西に向け、墳丘は三段築成で、くびれ部両側に方壇状の造出しを備えています。周囲には幅約15mの濠と幅約37mの堤をめぐらせ、市野山古墳(現・允恭陵)や茨木市の太田茶臼山古墳(現・継体陵)ときわめてよく似た規模と平面プランを有しています。
 後円部頂には格子目を刻んだ竜山石製の長持ち型石棺の蓋石が露出していたことが報告され、津堂城山古墳や 奈良県御所市の宮山古墳(室大墓古墳)と同様の石棺が用いられたと推測されます。 また、後円部頂から出土したと伝えられる多量の滑石製勾玉や家・盾・靱・短甲等の形象埴輪が宮内庁に保管されています。

 前方部南側の外堤で実施された発掘調査では堤内側の斜面に葺石が施されていることが確認され、転落した円筒埴輪や盾・人物等の形象埴輪が出土しています。

 現在、墳丘は「応神天皇陵」の「ほ号陪冢(ばいちょう)」として宮内庁に管理されています。 しかし、墓山古墳の周囲には浄元寺山向墓山、野中、西墓山という4基の陪塚(方墳)が配されていて、典型的な中期大型古墳の様相をみせています。

 また、南東部にある西馬塚古墳も付属墳と考えられています。


規模 単位:m
墳形全長後円部径後円部高前方部幅前方部高くびれ部幅くびれ部高年代
前方後円墳225129221541692 5世紀前半
古墳時代中期

後円部

北側の後円部

陪塚

右奥が墓山古墳
左は陪塚の浄元寺山古墳


古墳カード

MOZU-FURU CARD です。

画像の左上、前方部の向こう側に見えるのが浄元寺山古墳です。

2020年3月22日入手



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