昭和53年(1978年)3月~4月に30回にわたり新聞連載されたものです。

著者・鈴木正彦氏の快諾を得て、ここに公開します。


ルーツ 用途は信仰の儀式に

 鈴を愛して、鈴屋と号した本居宣長が、弟子の質問に答えたという「問答録」に、「鈴の起こり未詳」とあるように、鈴の歴史ははるかに古く、 また文献も乏しいために、その全貌を明らかにするのはむずかしいことだ。まして、土鈴のような潰れやすいものは保存が困難だから、その存在のあかしを跡付けるだけでも、 容易なことではない。 ともあれ悠久な歴史を回顧しながら、鈴に寄せて来た日本人の心にふれるとともに、土鈴を中心とした鈴の話を展開してみたいと思う。

 まず、土鈴が既に縄文時代に存在していたことは、考古学の成果によって実証されているのをみても、その発祥はかなり古い。 東日本にみられる縄文時代(中期から後期)の出土品には、球形・楕円形・円筒形・土偶形などの土鈴が数多く発見されており、 西日本では、縄文時代だけではなく、弥生時代の土鈴もいくつか発見されている。

 しかも、縄文時代の土鈴が鈴口のないもの(小さな丸い孔があけられている)と、 鈴口のあるものとに二分されているのに対して、 弥生時代の土鈴がはっきり鈴口を備えている点に、音の工夫に対する時代的変遷がうかがわれて興味深い。

 江戸末期の随筆「百草露」の<鈴の記>(巻7所収)で、作者含弘堂偶斎は、伊勢や山城で当時埴(はに)の鈴(土鈴のこと)を 作っていたことにふれ、「是いとふりたる世の遺製なる事疑ふべくもあらず」と述べ、さらに鈴の起こりは金属製(金鈴)ではなく、土製(埴鈴)であったことを強調して、 「埴もて造るぞ、今までも伝はれる鈴の始なるべき、是必ず神代の事與」と記しているが、この土鈴に対する考え方は、まさに当を得たものといってよかろう。 もちろん、古代中国の鈴が早く金属製であったことは、周時代の「周礼」などに記されているところだが、天理博物館に中国殷時代の土鈴が所蔵されていることや、 わが国における瓦や青銅器導入の歴史を考えてみれば土鈴が金鈴よりも早い所産であった点は容易に理解できよう。

 こうして、いち早く土鈴が誕生したわけだが、古代社会に会って、土鈴の用途はいったい何であったのだろうか。 考古学における土鈴の出土状況から、それらが石峰・立石(たていわ)といった祭祀遺蹟に伴って発見されるものである点や、 古墳遺跡から発見される点から、今日では祭祀に用いられたものとの推測が広く行われていて、この点はほとんど動かない。 この考古学的知識は、つまりは鈴の起源が呪的信仰にもとづくものであったことを物語り、ここに鈴本来の目的があったと思われる。

 わが国の鈴は、古代中国の「鈴(れい)」と「鐸(たく)」との両者の意を兼ねて用いたため、古くは「鈴」を<すず>と読んだのに対して、 「鐸」を<さなき>と読んで区別していたようだ。「倭訓栞(わくんのしおり・江戸時代に編纂された国語辞書)」によると、 <すず>は「音の涼しきより名づくるべし」と説明し。<さなき>は「小(さ)鳴るの器」としている。 涼やかな音色に鈴のいのちを愛(め)でた古人の心ばえが嬉しい。

 


初出 昭和53年(1978年)3月1日(水曜日)

本日の一鈴 東京向島・白髭神社の土鈴

白髭神社の土鈴

 東京都墨田区の白髭神社の災難除け勾玉鈴です。

 この神社は近江国(滋賀県高島市)に鎮座する白鬚神社の御分霊として祀られました。滋賀県の方は尉媼土鈴が有名です。

 


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