芝ケ原古墳は芝ケ原古墳群の13基の古墳のうちの一つで、古墳群中、唯一の前方後方墳です。
残りの12基の内訳は前方後円墳2基、円墳9基基、方墳1基からなっています。
また、芝ケ原古墳群は城陽市の北部に広がる久津川古墳群の一支群をなしています。久津川古墳群は山城最大の前方後円墳である 久津川車塚をはじめとして、大小90基近い古墳により構成されています。
(以下 城陽市教育委員会の現地説明パネルより)
前方後方墳は弥生時代末に濃尾平野に現れた突出部をつけた墳丘墓が、古墳時代に突出部をより大きな前方部へと発達させて生まれた墳形です。 古墳時代前期を中心に全国で約二百数十基が確認され、東日本で数多く築造されますが、西日本にもおよんでいます。
芝ケ原古墳は、前方部の形状が不明ですが、まだ未発達で短く、前端に向けて開いていることから、初現的な前方後方墳と考えられます。
京都府南部では、西山1号墳(城陽市)、元稲荷古墳(向日市)、茶臼山古墳(八幡市)、大住車塚古墳・、大住南塚古墳(京田辺市)など、古墳時代前期の前方後方墳が数多く知られています。
墳形 | 後方部墳丘 | くびれ部幅 | 突出部長さ | 年代 |
---|---|---|---|---|
前方後方墳 | 21×19 | 11.6 | 3.5以上 | 3世紀前半から4世紀初め |