兵庫県下で最大の前方後円墳。被葬者(ひそうしゃ)は、明石川流域の豪族であったのではないかと言われている。
 古墳時代に淡路の五色浜付近から運んで葺かれたので「五色塚古墳」と呼ばれるようになったと言われている。また一説には、古墳の形態が、炊飯用の甑(こしき)に似ているので、「こしき」が「ごしき」になまって名づけられたとも言われている。



規模 単位:m
墳形全長後円部径後円部高前方部幅前方部高くびれ部幅くびれ部高年代
前方後円墳194125188111.5  4世紀末から
5世紀はじめ



後円部
後円部
後円部
前方部から後円部を望む

 墳丘は三段に築かれている。周囲にははば10mの堀をめぐらしている。
造られた当時の様子に復元されており、 表面にはコブシくらいの大きさの石(葺石(ふきいし))が223万個(7トン積みのトラック400台分)敷き詰められ、 1メートルくらいの高さの筒型の埴輪(はにわ/円筒埴輪(えんとうはにわ))が2000個ほど並べられています。

後円部
後円部、右奥は前方部
葺き石
葺き石


前方部
後円部上から前方部を望む
明石大橋
埴輪の向こうに明石大橋

小壷古墳
小壷古墳

 すぐ隣には、直径60メートルの円形の「小壷(こつぼ)古墳」があり、 五色塚古墳より少し古い時代に造られたと考えられています。

 



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