ホケノ山古墳は箸墓古墳の東約三百メートルの丘陵上にあります。石で囲った木槨内に長大な木棺を据えた類例のない三重構造の埋葬施設や、中国・後漢末~三国時代(三世紀前半)の極めて上質な画文帯神獣鏡などが出土しました。
これまで不明だった古墳の発生段階の姿を初めて具体化するとともに、古墳時代が邪馬台国の時代に始まることを明確に裏付ける重要な資料とされています。

ホケノ山古墳

ホケノ山古墳

この古墳は全長約八十メートルの前方後円墳で、当時としては最大級。出土した炭化した木棺材を、「C(炭素)14年代測定法」で調べた結果、2世紀後半から3世紀前半にかけて伐採・加工された木材と判明し、「古墳の築造年代も三世紀前半にさかのぼる可能性がある」と発表されました。(2000年の発掘調査)
さらにホケノ山古墳から北西1キロにある勝山古墳(桜井市)の周濠(しゅうごう)から見つかった木製品が年輪年代法により3世紀初めに伐採されたヒノキだったと発表されました。(2001年5月30日、奈良県立橿原考古学研究所と奈良文化財研究所より)
勝山古墳は全長110メートル以上の前方後円墳で、今回の発表により築造年代は従来考えられてきた3世紀後半より古く、3世紀前半までさかのぼってわが国最古の古墳とする可能性が出てきました。邪馬台国の時代にすでに古墳が築造されていたということで、邪馬台国畿内説を裏付けています。
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