鈴散歩 栞第3号

 

○卓話 川西誠治氏 日田土鈴について

 私が日田市の吉田東光氏を訪ねたのは昭和53年頃である。北九州・南九州・東九州の旅を重ねて中部九州の旅の行程を組み、阿蘇、熊本、長崎の旅に阿蘇に入る道順で日田市から、竹田市から高千穂にするか、結局は鈴に惹かれて日田市に一泊と決めて水郷で有名な三隅川の畔に宿を決めて、午後から吉田工房を訪れた。 居宅は港町8-23で嘗て徳川天領の時代に港として栄えた旧い町である。吉田氏夫妻に迎えられて、兎に角工房に案内された。

 別棟の広い二階の仕事場では息子さんを始め沢山のお手伝いさん方が、それぞれの分野の仕事に余念がない。民芸品も作っておられ、特に息子さんが凧の製作に意欲的に取り組まれ絵凧が一杯に並んでいた。土鈴の製作法等についてお話を聞いたり質問をしたりしてゆっくりさせて貰った。この時、一番に印象に残ったことは広い工房のどこにも塵一つない清潔さと整頓されていたことである。 今までに土鈴作家や窯元を訪れたが、仕事場はそれなりの姿が眼に映った。それが仕事場と思っていたが、吉田氏の几帳面な性格が本当によく表れていると思わざるを得なかった。

 次いで事務室に案内され、そこにも作品が並んでいたが、私には陶鈴が眼についた。ろくろで引かれた釉薬が施され、私の陶鈴に似たものがあり、色々話をしている中に、貴方は小鹿田に行ったことがあるか、私は名前は知っていたが全く予定していなかったが、今から私が連れて行ってやる、今夜は泊まるだけだからと云うので、日田の町から16kmの奥深い山道を案内してくださった。行った窯元が有名な坂本茂木さんの宅で、作陶の方法や製品の説明を、ここは日本で唯一の水車の杵で粘土を作り、水桶の方式を見学し、その時、私が鈴を作りたいとお願いすると、吉田氏と坂本さんが最も親しい知己の間柄で吉田さんから頼まれたら仕方がないというので、来年の都合の良い時にということになり、翌年、坂本さんの窯元を訪れ小鹿田焼土鈴を作った。この作陶の時、吉田さんが宿泊は私の処にしなさい、小鹿田にほど近い所に私の経営する民宿れいせんがある。近いといっても4km程も離れた山坂である。私が毎日送り迎えをしてやるとのことで4泊5日の滞在を決めたところが窯元では、ろくろが蹴りろくろしかない。こんなもの見初めで実際にやったことがない。ろくろが廻っても、全く手の施しようもない。これは駄目だ。作れないから帰るしかないと、あきらめたが吉田さんが自宅にある電動ろくろを持ってきてやる、今から取りに行ってやると云って午後から工房に据え付けて下さった。これでやっと、ろくろが廻せる、それから無心に泥んこになって鈴作りに邁進し、夜はれいせんに宿泊をする。勿論、お客は私一人であるが奥様もわざわざお越しくださって、特別の御馳走と広い岩風呂まで私のためにしてくださった。この民宿れいせん(鈴泉)は吉田東光さんの山荘で一人で静かに仕事をされる場所でもあるがバス路線の駅名が「れいせん前」で切符もれいせん前で民宿の名が駅名になっている一軒宿である。 れいせんは民宿と同時に民芸品、土産物品、および土鈴の販売店でもあり吉田氏作品の展示場でもある。

 展示の方法が変わっている。広いロビー兼食堂の大広間の壁面一杯に大きな扇形の板に葭(あし)を貼り付け、なんと土鈴がぶら下がっている。 ゆうに五六百個、すべてが吉田氏の作品である。勿論、私の持っているものも十数点あったが、鈴なりにぶら下がっている展示は壮観と云える。

 日田の工房でも作ることが多いが静かに山荘で一人で作ることもある。丁度その頃、吉四六土鈴を作っておられたが、全部手押しで、手書きで、眼、口、髪、眉、鼻は勿論、着物の柄も襟文字も、特にひげを一つ一つ丁寧に書いておられたのが印象に残る。

 吉四六さんの民話は大分県の伝説を面白おかしく吉四六さんの口伝として今に残るものであるが、この民話の主人公を土台として吉四六像を創作され12個をそれぞれ表情を変えて吉四六さんに作り上げ、とても需要には追い付かない。従って、何時でもあるとは云えないものを、今回は特別にお作り戴いたもので、しげしげと見れば土鈴作家としての芸術的なすばらしさ、 一筆もゆるがせにせぬ努力と精力的な意欲が伝わってくるのである。

 れいせんでの製作場所は広い駐車場を前に明るい所に表向きに座して、こつこつと作られ、奥さんがこまめに仕上げの仕事を手伝っておられる。

 吉田さんは初代で生来の器用さと絵心があり、日田の民芸復興の考えもあり、独力で日田土鈴を有名にし、かくれたる土鈴の里の名をほしいままにすることが出来た。今は二代目が工房の中心となり盛大に販路を拡げておられるが、時代の波に吉田さんの手押し、手書きの一品作りではとても商売にはならず、息子さんはやはり大量生産の波に乗り遅れないように土産物品や社寺用として販路を拡大して盛業中である。 然し東光さんは昔の味が忘れられず、山にこもってこつこつと作っておられる。

 私の行った時、頼まれて陶印を彫刻しておられたが九州の有名な書家からの依頼を受けて、土鈴だけでなく陶芸の方面でも腕達者な人である。四泊もしてその間いろいろな人が集まり、その輪に入れて貰ったが、鯛生(たいお)鉱山の観光施設にも協力され、そこで吉四六さん土鈴を販売しているとのこと、先達ってのお手紙によると、日田市の観光施設としての一大民芸郷として広範囲に亘る地域開発が進められ、小鹿田の窯元やその附近一帯、その中心地がれいせんになるような計画が考えられているとか、 今は日田市の名士として人とのつながりを大切に地域発展にも大いに尽くされている。

 この度、鬼瓦土鈴を恵送して下さったのであるが、今や旧城下町の町家作りで有名な豆田町に店舗を開かれて、民宿れいせん、 吉田工芸店、豆田土鈴店を三か所経営されている。

 嘗て私の訪問の時にはなかったと思うが、豆田町は旧い街並みの町として色々と説明して下さったことが思い出される。

 吉田さんはこの町の古い町家の鬼瓦鈴を作られ、土鈴作家としての円熟した技法と独創的な図柄、製作法がうかがい知られる。この鬼瓦土鈴については新聞記事の情報として配布したものである。 瓦鈴と共に内裏雛鈴(近作)を家内にと恵送して下さったもので心優しい親切な人柄である。

 今年の龍土鈴はNHKの朝の全国版で奥様と一緒に放映されたもので、深い青色と金色、するどい眼と鱗など吉田さんの心が伝わってくるようである。

 訪問した時の記念に吉四六さんを四、五個と吉田さんの一番好きな鈴を選んで貰って、おかめ土鈴、一見して素朴な感じ、音の好さ、顔、姿の美しさ、 それに髪の毛、眉も口も頬紅も一筆づつ筆跡を残して丹念に精神をこめて作られている。

 この姿こそ本当の土鈴作家であり、私共の愛好する土鈴を魂のこもった最も美しい土鈴である。

 「一つの鈴に歴史と風土、技量と人柄 そして触れ合いを大切にして」

 

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